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ピーター・グリーン (ミュージシャン) : ミニ英和和英辞書
ピーター・グリーン (ミュージシャン)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ピーター・グリーン (ミュージシャン) : ウィキペディア日本語版
ピーター・グリーン (ミュージシャン)[ちょうおん]

ピーター・グリーン(Peter Green、1946年10月29日 - )は、イギリスギタリストブルースロックの分野で活動し、フリートウッド・マックの創設メンバーとして知られる。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」の2003年では38位〔The 100 Greatest Guitarists of All Time: Rolling Stone 〕、2011年の改訂版では第58位に選出された。
== 来歴 ==

10歳の頃からギターに興味を持ち、その後ハンク・マーヴィンマディ・ウォーターズB.B.キング等に影響を受ける。
ピーター・バーデンス(後にキャメルを結成)のバンドであるTHE PETER B'Sで、後の盟友ミック・フリートウッドと出会う。そして、1966年には、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズにエリック・クラプトンの後任として加入する。クラプトンの後釜〔後にピーター・グリーンの後任として、ミック・テイラーが加入した〕として期待以上の反応に答えて、グリーンは名声を得る。フレディ・キングの「The Stumble」のカバーを収録した1967年のアルバム『ハード・ロード』をリリース、同年グループを脱退する。
1967年にリーダー・グループ、ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マックを結成、グリーンは演奏と作曲面でも中心的存在を担った。1968年にマイク・ヴァーノンのブルー・サムとレコーディング契約、CBSからファースト・アルバム『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック』を発表する。同年発表のシングル曲「ブラック・マジック・ウーマン」は、後にサンタナのアルバム『天の守護神』(1970年)でカヴァーされた。1968年8月発表のセカンド・アルバム『ミスター・ワンダフル』には、後にゲイリー・ムーアエアロスミスがカヴァーした「ストップ・メッシン・ラウンド」収録。1969年にはシングルEPとしてリリースした「アルバトロス」が全英1位のヒットとなる(2008年にはギター・アンビエント・ミュージックとして再評価されている)。また1970年のシングルEP「グリーン・マナリシ」は、後にジューダス・プリースト殺人機械』(1978年)でカヴァーされた。
1970年にドラッグの誤使用がもとでフリートウッド・マックを脱退せざるを得なくなり、同年、全曲即興的なインストルメンタルであるソロ・アルバム「The End of the Game」をリリースをして暫くシーンの一線から退くことになる。この頃に愛用していたギブソン・レスポールゲイリー・ムーアに無料同然の値段で譲り渡した〔Gary Moore - Peter Green 〕。1970年代の大半をLSDの後遺症で統合失調症幻覚が原因で活動を停滞させるが、1970年代後半にPVK Recordsとレコーディング契約、1978年にはミック・フリートウッドのソロ・アルバム「The Visitor」の客演をきっかけにしてギタリストのスノウィー・ホワイトのサポートを受けてソロ活動を再開、アルバムをリリースする。1990年代からゲイリー・ムーアやピート・ブラウンらによるピーター・グリーンの楽曲の再評価を受けて本格的な演奏の復帰期間に入る。
1990年代に、ギタリストのナイジェル・ワトソン、コージー・パウエルニール・マーレイ等と共にピーター・グリーン・スプリンター・グループを結成し、1997年に初のアルバムを発表。パウエルの交通事故死とマーレイの脱退によりバンドはメンバー・チェンジをせざるを得なくなるが、1999年にはグリーンにとって初となる日本公演も行い、充実したグループにより2004年まで活動を継続した。暫く音沙汰がなかったものの、2008年にはギターヒーロー3 レジェンド オブ ロックの発表の席にゲイリー・ムーアとともに参加。その後、2009年から2010年にかけてピーター・グリーン・アンド・フレンズとして、イギリス、ドイツおよびオーストラリア・ツアーを行った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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